新感線35周年オールスターチャンピオンまつり「五右衛門vs轟天」 [エンタメ]
古田新太さんと松雪泰子さんが出演する以外の予備知識はほぼなしに観劇。最初は圧倒されたものの、やっぱり新感線は楽しい!ところどころ見覚えのあるセリフや動きに遭遇すると嬉しい! 古田新太さんがすごいのは言わずもがな。酒場のシーンで、天海祐希さんが「今日だけアルバイト…」みないなことを言いながら登場なさって、びっくり。「ミニオンズ」キャンペーンで来福中だったよう。生で拝見するのは『テイク・フライト』以来。ラッキーでした。
エリザベート [エンタメ]
ほぼあきらめていたのにチケットを譲っていただいたおかげで(譲ってくださった方に感謝!観劇できたのは奇跡!)、王子のトート閣下を拝むことができました。王子のトートは、ピーターパンが(大人になるはずはないのに)大人になり、邪悪なそれも含めて、持てる力のすべてを尽くしてエリザベートを手に入れようとするような、そんな印象。山崎育三郎さんのルキーニも(正直に言うながら、予測に反して)素晴らしかった。東宝版「エリザベート」ではルキーニと言えば高嶋政宏さんだったわけで、もの真似になってはいけないし、ルキーニ像に対する観客の期待を裏切ってもいけないし、もしかしたら王子よりもずっとプレッシャーがあったのではないかと思う。今後さらにこなれた育三郎ルキーニを観たい。
矢野顕子ひとりで飛ばすよ、どこまでもツアー2015 [エンタメ]
15日は仕事を早めに切り上げて、高速バスに乗って、矢野顕子コンサート@高知県立美術館。歌声ももちろんですが、お腹の底まで響いてくるピアノと、矢野顕子という存在が迫力。「飛ばしていくよ」と、小田和正さんが感嘆と諦め?の声を漏らしたという「yes-yes-yes」でのシャウトはもちろんのこと。アンコール2曲目の「ひとつだけ」では涙が止まらず。『はじめてのやのあきこ』での忌野清志郎さんとのコンビネーションが何とも言えないこちら。清志郎さんの話がちらちらと出てきた後で聴くと、感慨深い。清志郎さんの歌う「セラピー」を聴いてみたいなあ。アルバムのどれかに収録されているのでしょうか。
気持ちの赴くままに自由に生きている印象の矢野顕子さん。でも、言わずもがなだろうけれども、乗り越えてきたものは多いのだと思う。私も受け止めるべきものはしっかり受け止めて歩いていきたいと思う。
気持ちの赴くままに自由に生きている印象の矢野顕子さん。でも、言わずもがなだろうけれども、乗り越えてきたものは多いのだと思う。私も受け止めるべきものはしっかり受け止めて歩いていきたいと思う。
シンデレラ [エンタメ]
美術はいいし、役者はいいし、素晴らしい。監督がケネス・ブラナーだからかもしれないけど、ディズニー、やるなあ。個人的ツボは、2人の意地悪なお姉さんのファッション。ガラスの靴を無理やり履こうとするときにちらりと見えるタイツまで可愛い。
…ただ、ろくに確認せずに、仕事を済ませてから直行したら、吹き替え版だった…。ヘレナ・ボナム・カーターやデレク・ジャコビの声を聴きたかったのに。「シンデレラ」の前に上演される「アナ雪」続編で、松さんと沙也加ちゃんの声が聴けたのはよかったけど。
…ただ、ろくに確認せずに、仕事を済ませてから直行したら、吹き替え版だった…。ヘレナ・ボナム・カーターやデレク・ジャコビの声を聴きたかったのに。「シンデレラ」の前に上演される「アナ雪」続編で、松さんと沙也加ちゃんの声が聴けたのはよかったけど。
リトル・ダンサー [エンタメ]
前に観たのは日本公開直後だと思うので、たぶん2001年。踊りたくて仕方のないビリーがロイヤル・バレエ学校の試験にパスする件と、父親が息子の意思を徐々に理解していく件だけが印象に残っていたけれども、背景にある1984年の炭鉱労働者の様子が描かれていて、監督の意識の高さを感じる。
ウィルキンソン先生の夫が、中産階級でそこそこの生活をしていても閉塞感に苛まれていることがきちんと描かれているのもいい。ビリーがバレエ学校のオーディションのときに、たぶんお金持ちの子供に、ダラムと言えば大聖堂だというようなことを言われて、大聖堂なんか行ったことはないと答えるやり取りもいい。ビリーにとってのダラムはサッチャー政権下で労働者が葛藤せざるを得ない炭鉱の町。そのように80年代のイギリスの様々な面が描き込まれていて、でも押し付けがましくない。観直してみて、しみじみ素晴らしい。そして、息子を思うお父さんに涙。ウェストエンドでミュージカル版が観たいなあ。
ウィルキンソン先生の夫が、中産階級でそこそこの生活をしていても閉塞感に苛まれていることがきちんと描かれているのもいい。ビリーがバレエ学校のオーディションのときに、たぶんお金持ちの子供に、ダラムと言えば大聖堂だというようなことを言われて、大聖堂なんか行ったことはないと答えるやり取りもいい。ビリーにとってのダラムはサッチャー政権下で労働者が葛藤せざるを得ない炭鉱の町。そのように80年代のイギリスの様々な面が描き込まれていて、でも押し付けがましくない。観直してみて、しみじみ素晴らしい。そして、息子を思うお父さんに涙。ウェストエンドでミュージカル版が観たいなあ。
おみおくりの作法 [エンタメ]
ロンドン、ケニントンの民生係、ジョン・メイ氏の物語。メイ氏は、どちらかと言えば、死に向き合うというよりも、死者の人生を肯定し、親族や友人を探し葬儀に出てもらうことで、彼らもまた死者の人生を肯定するよう尽力しているという印象。
メイ氏のオフィスや自宅のすっきりさ加減(掲示物がきちんと並べられていたり)や色合いが岡尾美代子さんっぽいような。質素なのだけど、スタイリッシュ。
追記:
ちょっと古い感じのケニントンの街並みがいい。ただ、庶民的な雰囲気なのだけど、交通の便は良さそうだから、家賃が高そう。メイ氏がフォークランド紛争を経験した老人に会う件も、ちょっとしたことだけれども、イギリス社会の現実を反映していていいと思う。
メイ氏のオフィスや自宅のすっきりさ加減(掲示物がきちんと並べられていたり)や色合いが岡尾美代子さんっぽいような。質素なのだけど、スタイリッシュ。
追記:
ちょっと古い感じのケニントンの街並みがいい。ただ、庶民的な雰囲気なのだけど、交通の便は良さそうだから、家賃が高そう。メイ氏がフォークランド紛争を経験した老人に会う件も、ちょっとしたことだけれども、イギリス社会の現実を反映していていいと思う。
ジミー、野を駆ける伝説 [エンタメ]
アイルランドの映画だという理由で鑑賞。音楽の素晴らしさと映像の美しさだけに注目するのはもったいない気がするけど、政治的にあれこれ考えだすと難解だと思う。印象的だったのは、英語の歌をアイルランド語で歌い替える場面、詩について語り合う場面、ジミーのお母さんが鍵のことでとぼける場面。現実は過酷でも、精一杯楽しく生きようとするところアイルランド的なのだろうなあ。
博士と彼女のセオリー [エンタメ]
レディース・デイの今日、仕事を切り上げて観に行きました。エディ・レッドメインのオスカーは納得。私が審査委員でも、カンバーバッチ様ではなくエディに一票。ジェイン・ワイルド役のフェリシティ・ジョーンズも素晴らしい。
もっとも、『博士と彼女のセオリー』と『イミテーション・ゲーム』のどちらが、映画として私の心に残る(後を引く?)かと言えば、後者。たぶん第一の理由は、私が伝記映画よりも、歴史ミステリー的な映画の方が好みだから。また、素人目には、ホーキング博士よりもチューリングの偉大さの方が解りやすく、それなのにその功績が生前(少なくとも公に)認められることはなく、性的なマイノリティとして刑罰を受けなければならない(しかも、それがその死につながった可能性がある)チューリングのやるせなさは如何ばかりかと、あれこれ考えさせられる。戦争の持つ不条理に怒りを覚えたりもする。泣ける映画もしくは勇気をもらえる映画なら、明らかに『博士と彼女のセオリー』なのだと思いますが。
もっとも、『博士と彼女のセオリー』と『イミテーション・ゲーム』のどちらが、映画として私の心に残る(後を引く?)かと言えば、後者。たぶん第一の理由は、私が伝記映画よりも、歴史ミステリー的な映画の方が好みだから。また、素人目には、ホーキング博士よりもチューリングの偉大さの方が解りやすく、それなのにその功績が生前(少なくとも公に)認められることはなく、性的なマイノリティとして刑罰を受けなければならない(しかも、それがその死につながった可能性がある)チューリングのやるせなさは如何ばかりかと、あれこれ考えさせられる。戦争の持つ不条理に怒りを覚えたりもする。泣ける映画もしくは勇気をもらえる映画なら、明らかに『博士と彼女のセオリー』なのだと思いますが。
イントゥ・ザ・ウッズ [エンタメ]
森という、コミュニティの外側の位置するミステリアスな場所で繰り広げられる、お伽話の主人公たちのその後。ジョニデはいい意味でも悪い意味でも期待を裏切らず。メリル・ストリープはお約束の迫力。
イミテーション・ゲーム [エンタメ]
やー、観てよかった! 濃密な時間を過ごさせていただいた感じ。 「博士と彼女のセオリー」をまだ観てないけど、カンバーバッチ様にオスカーをあげたい。
(以下、ネタバレあり。このブログを読んでくださっている方で、「イミテーション・ゲーム」を観る予定の方はお気を付けください)
ミステリーの雰囲気を高める脚本がいい。アラン・チューリングはエニグマを解読した英雄であり、第二次世界大戦を早く終わらせることによって1400万人の命を救ったと見積もられているけれども、それでも、(戦略上止むを得ないことだとはいえ)解読したことを隠すことで、ピーター・ヒルトンの兄を含む軍人だけでなく、民間人を結果的に殺してしまったという現実をきちんと描いているのもいい。戦後「わいせつ行為」で告発されたときに、自分が第二次世界大戦の英雄であることを公表せずに秘密を守り通したのは、それが任務の一部だったからだけではなく、多数を救うためであっても、同朋を見殺しにしてしまったことへの罪悪感を彼が持ち続けていたためではないかという気が私はします。
ジョーン・クラークのチューリングへの同朋意識や、エニグマ解読に関与する様子の描き方も私はいいと思う。キーラ・ナイトレイが美人過ぎる云々の意見もあるようですが、彼女が印象的に演じることによって、クラークのような女性に光が当てられるようになればいいと思うし、ドラマが重層的になっていると思う。彼は薬物によって去勢されて41歳の若さで亡くなってしまうわけで、やるせない感じが残るのですが、だから観客がチューリングに同情的になるわけではなく、どこか淡々と描いているのもまたいい。
「歴史上の事実」とか「史実」とかよく使われる表現ですが、「史実」と思っているものの背後に多くの現実が隠されている可能性に気付かせてくれたり、私たちが「史実」だと思っていることは、実はそう思わされているだけなのではないかと疑わせてくれることも、この映画の面白いところだと思う。
(以下、ネタバレあり。このブログを読んでくださっている方で、「イミテーション・ゲーム」を観る予定の方はお気を付けください)
ミステリーの雰囲気を高める脚本がいい。アラン・チューリングはエニグマを解読した英雄であり、第二次世界大戦を早く終わらせることによって1400万人の命を救ったと見積もられているけれども、それでも、(戦略上止むを得ないことだとはいえ)解読したことを隠すことで、ピーター・ヒルトンの兄を含む軍人だけでなく、民間人を結果的に殺してしまったという現実をきちんと描いているのもいい。戦後「わいせつ行為」で告発されたときに、自分が第二次世界大戦の英雄であることを公表せずに秘密を守り通したのは、それが任務の一部だったからだけではなく、多数を救うためであっても、同朋を見殺しにしてしまったことへの罪悪感を彼が持ち続けていたためではないかという気が私はします。
ジョーン・クラークのチューリングへの同朋意識や、エニグマ解読に関与する様子の描き方も私はいいと思う。キーラ・ナイトレイが美人過ぎる云々の意見もあるようですが、彼女が印象的に演じることによって、クラークのような女性に光が当てられるようになればいいと思うし、ドラマが重層的になっていると思う。彼は薬物によって去勢されて41歳の若さで亡くなってしまうわけで、やるせない感じが残るのですが、だから観客がチューリングに同情的になるわけではなく、どこか淡々と描いているのもまたいい。
「歴史上の事実」とか「史実」とかよく使われる表現ですが、「史実」と思っているものの背後に多くの現実が隠されている可能性に気付かせてくれたり、私たちが「史実」だと思っていることは、実はそう思わされているだけなのではないかと疑わせてくれることも、この映画の面白いところだと思う。