藤原正彦氏とエミリ・ブロンテ [読書]

20150811175804.jpg紙媒体で8月8日以降に夏休みに読んだもの。藤原氏の『遥かなるケンブリッジ』。ロウアークラスのアッパーミドル以上への敵意についての件が興味深し。藤原氏がケンブリッジに滞在したのは1987年から翌年にかけての約1年。偶然にも1987年は私が初めてロンドン(=初めての海外)に行った年。2週間ホームステイして、エジンバラで4泊5日過ごしたものですが、短期滞在者と生活者とでは、感じ入るところが違うのだなあ。そもそも人生経験が全く違うし。次男さんが受けた虐めに関する箇所も興味深かった。

読もう読もうと思っていた鴻巣友李子訳『嵐が丘』。読みやすいと思う一方で、新しくて自然に思える言葉遣いの中に時々見られる(私から見ると)古めの表現にやや違和感。でもまあ、こちらに限らず、古典文学の新訳って、ほとんどの場合、そういう印象を抱いてしまう。だから、そういう印象を抱かせない翻訳に遭うと恐れ入るのでした。翻訳と言えば、川端康成氏のノーベル賞受賞を記念する?三島由紀夫氏、伊藤整氏という御大3人の対談(youtubeで拝見)でも、翻訳されるとはどういうことなのか、疑問が投げかけられていた。作品が翻訳で評価される場合、その半分もしくは3割は翻訳者が受けるもんじゃないかという、川端氏の冗談めかしたコメント。村上春樹氏は作品が翻訳されることを否応なく念頭に置いて創作なさっているのではないかと思うのですが、この辺についてどう思っていらっしゃるのだろう? 日本語で書いた作品が英語で評価されることへの思いとは? …既にどこかでコメントされているかもしれないですが。

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